4級審判の自由帳

子供と一緒に、パパ審判をかんばる日記です。

見えたものに素直に吹く

最近、うまく吹けなかった試合の話。

とあるカップ戦の最終試合を担当したときのこと。最近よくある2審制で、別のチームの知らない方と組んでジャッジすることに。

その日は暑さもあり、試合数も多く(4種なので時間は短いが)、最後の試合ということで多少疲れた中ではあったが、2審の副審側としてもう片方の方の基準を見極めつつ、集中して試合に入ることを心がけたつもりだった。

試合開始5分くらいで、相手の主審サイドで微妙なプレーが続き、自分であればファールをとるようなものも平然と流されたことで、副審のこちらもその基準に合わせなければと少し考えすぎたのかもしれない。

その後、自分のサイドで微妙なプレーがあっても、迷ってしまい、いくつかのシーンで吹きそびれたような形になってしまった。

さらに、試合として優勝がかかった試合(4点差以上つけて勝利すると優勝)だったこともあり、どこか荒れたような試合になってしまった。

自分として納得のいく判定ができていれば、試合の展開は関係なかったと思うのだが、どこか迷いながら吹いていたこともあり、試合後は久しぶりに反省しかなかった。

1週間くらい悶々と考えていると、以前読んだ本の中で、審判は見たものをそのまま素直にジャッジするのが正しい姿というような表現があったことを思い出す。

2審であっても、どんな試合の状況であっても、目の前で起こっているプレーに対して素直に、考え込むことなく、自然にジャッジすることが、本当はすごく大事だということに気づいたのだ。

その後、何週間か後の試合、また同じような2審制の試合を担当した。

今回は、自分のエリアや視野の範囲では、相手に遠慮することなく自分の基準でまずは吹いてみようと心がけ、現に多少厳しめにファールをとることになった。

終わった後に相手の方から、「XXのシーンは、私ではとらないなと思ったのですが、厳しいですね」と言われたが、不思議と自分の中で後悔はなかった。

理由(微妙なラインではあるが、相手の倒れ方をみると、強さとして正当なチャージングとは言い難い)を説明し、自分の基準を優先したということを伝えることで、相手の方も理解を示してくれた。

自分に足りなかったものは、見えたものに素直に吹くという、当たり前のことだったんだなと改めて気づかされた。